1982年に『花の82年組』のアイドルの1人だった小泉今日子さん。
「キョンキョン」というニックネームで、トップアイドルとして脚光を浴びていました。とても可愛くて輝いていましたね!
アイドル時代から数十年経った今も、素敵な女性で憧れの存在です。
そんな小泉今日子さんの原点だと言われる母親について調べてみました。
小泉今日子の母親は芸者だった!
小泉今日子から見た母親の印象
小泉今日子さんの母親は由美さんと言い、結婚前は厚木の飯山温泉で芸者をしていました。
母親・由美さんの叔母さんが置屋をやっていたため、幼女になった母親はそこで10代の頃から芸者になっています。
小泉今日子さんの父親と結婚してからは専業主婦になり、父親の経営していた会社のパートさんたちのお世話をしたりしていました。
そう聞くと一見堅実そうに見えるのですが、基本は小泉今日子さんも「洒落てんなー」と思うくらいで、細いタバコを吸って毎日喫茶店でインベーダーゲームをしているような母親でした。
すごく粋な母親の姿が、現在の小泉今日子さんの姿と重なりますね。
※インベーダーゲーム:1978年にタイトーが開発し、世界的にブームを巻き起こしたゲーム
小泉今日子の母親の写真が見たい!
小泉今日子さんはやっぱり母親似なのでしょうか?
2023年10月に出版された『別冊 太陽』で、小泉今日子さんの子供の頃の写真などが載っています。そちらには若い頃の母親・由美さんの写真も!
小泉今日子さんの言われるように、お洒落なワンピースを着ている写真や、ミニスカート姿の写真などもあり、小泉今日子さんを思わせるような雰囲気の女性です。
芸者さんをしていた頃の写真なども見てみたいのですが、残念ながら見つかりませんでした。
小泉今日子の母親・若い頃
10代の頃から芸者として働いてきた小泉今日子さんの母親・由美さん。
結婚してからは専業主婦になって、子供の学校のPTA活動や地域の行事などで、子供の友達のお母さんたちとも交流があったりとごく普通のお母さんでした。
しかし、その後小泉今日子さんの父親の会社が経営難に陥ったため、母親は昔からの知り合いの芸者仲間が経営しているスナックでバイトを始めます。
それがきっかけで母親・由美さん自身も家の1階を店舗にして『想い出』というスナックを経営し始めました。
母親・由美さんはもともと長年芸者をしてきたので、その道の知り合いも多く、スナックでの仕事は肌に合っていたんでしょう。
小泉今日子さんも、友達と一緒に母親・由美さんのお店へ遊びに行くこともあったようです。
小泉今日子さんの中学校の卒業式の前日に、出場した『スター誕生』の決勝大会があり、見事合格して、母親も交えて事務所の人との面談のために帰りが遅くなり、卒業式当日寝坊してボサボサ頭で遅刻しました。
母親・由美さんは仕事柄夜型だったため、起こしてくれなかったそうです。
そんなところも小泉今日子さんの母親・由美さんらしいな〜と感じたのは私だけ?
そのあとなのでしょうか。
小泉今日子さんの母親・由美さんは、お好み焼き屋 『メリケン亭』を営まれます。
母親・由美さんの存在も、明るく華やかな雰囲気の方だったので、地元ではよく流行ったお店だったんでしょうね!
小泉今日子と家族の関係
小泉今日子の父親
小泉今日子さんの父親の名前は、信廣(のぶひろ)さんで、昔TBSの社員だった時代があったそうです。そのこともあってか、小泉今日子さんが芸能界に入る時も「因果な商売だから貯金しなさい」というくらいだったようです。
父親・信廣さんは家庭内では無口だったようですが、物知りで、質問をしたらちゃんと答えてくれたそうな。
小泉今日子さんの父親・信廣さんはカセットテープを作る会社を経営されていました。本社は東京・世田谷区で厚木にはその工場がありました。
しかし、その会社はのちに経営が難しくなり、小泉今日子さんが中学2年生の時に一家離散することになります。
借金取りから逃れるため、小泉今日子さんと姉2人、母親の4人は別のアパートで暮らしました。
その後、会社の危機は乗り越えたものの、母親と姉たちはそのままアパートで暮らし、小泉今日子さんだけが父親・信廣さんの元に戻りました。
父親・信廣さんとの生活は、とても楽しかったそうです。
自転車の二人乗りでトンカツを食べに行ったり、小泉今日子さんが学校をサボりたい時には欠席届のハンコを押してくれるなど、とても自由気ままにさせてくれたみたいですね。
小泉今日子さんが学校をサボって友達とファミレスに行くと、そこにはと父親・信廣さんの姿が。一瞬目が合って「やばい」と思いましたが、何事もなく家に帰ります。
小泉今日子さんが父親に「いたよね?」と聞くと「いたよ。お金持ってたの?」とそれだけだったそう。
お互いに干渉しない親子のようですね。
それでも父親・信廣さんにとっては、一緒に暮らしてくれた小泉今日子さんは可愛くて仕方ない存在だったでしょう。
そんな父親・信廣さんは小泉今日子さんが28歳の時に64歳で他界しました。
父親・信廣さんが入院した時は、すでに芸能界に入っていた小泉今日子さんですが、毎日車を運転して、父親の入院先の病院へ通っていたそうです。
最愛の父親を亡くした小泉今日子さんは、その時の気持ちを「戸籍上天涯孤独になりました」と言われています。
芸能界で活躍し、忙しい中でも毎日父親に会いに来た小泉今日子さん。とても尊敬します。
小泉今日子の長姉
小泉今日子さんは三姉妹の末っ子で、長女は葉子さんといいます。
葉子さんは小泉今日子さんよりも8歳上で、小泉今日子さんは幼い頃、「この人がお母さんだ」と錯覚していたそうです。
夜中に嘔吐した小泉今日子さんの背中をさすってくれたり、拭いてくれたりとまるでお母さんのようにしてくれたそう。
小泉今日子さんが一人暮らしを始める時には裁縫セットを持してくれたり、二十歳になった時には真珠のネックレスとピアスのセットをプレゼント。
結婚した時には色無地の着物に合わせるバッグと草履をプレゼントしてくれました。
小泉今日子さん曰く、お母さんよりもお母さんらしい人のようです。
父親・信廣さんが亡くなる前も、葉子さんが病床に通って献身的に看病をしていました。
父親・信廣さんの死期を悟った葉子さんは、自分の子供と小泉今日子さんを連れて、父親の墓探しをします。これも長女としての責任感でしょうか。
自宅の近くにその場所を見つけ、現在、父親・信廣さんはそこで眠っています。
小泉今日子さんの母親・由美さんが女手一つで営んできたお好み焼き屋も、葉子さんが後を引き継いでいました。
そんな母親のような存在だった姉・葉子さんは2014年にこの世を去ることになります。
まだ56歳という若さでした。
大腸がんが見つかり手術しましたが、肝臓や肺、最後には脳にまで転移していました。
小泉今日子さんの姉・葉子さんには子供や孫も2人いて、これからがとても楽しみだったに違いないと思います。
頼もしい母親のような存在だった姉・葉子さん。大切な人を失った悲しみは、50代を迎える小泉今日子さんにとって、今後の人生をどう生きたいのかを考えるきっかけになったでしょう。
小泉今日子の次姉
小泉今日子さんの二番目のお姉さんは浩子さんといいます。
小泉今日子さんより二つ上なので、2024年現在60歳ですね。
そんな姉・浩子さんは学生時代にヤンチャだった時期があり、親がよく呼び出しをくらったそうです。
お互い干渉しない姉妹で、小泉今日子さんと浩子さんが街ですれ違っても声を掛け合うことはありませんでした。
2022年12月に見送った母親・由美さんの介護は、小泉今日子さんと協力しながら行っていました。
父親・信廣さん、長姉・葉子さんを見送り母親・由美さんを見送る。残された姉妹2人で支え合いながら介護をしていたのでしょう。
小泉今日子さんの姉・浩子さんの嫁ぎ先は元兼業農家で、現在は夫婦で使っていない畑を家庭菜園にして野菜などを育てています。
小泉今日子さんも姉・浩子さんも今ではお互いシニア世代に向けての話で盛り上がりそうですね。
小泉今日子の母親の尊厳を守る
小泉今日子さんの母親・由美さんは2022年12月に他界されました。
その一ヶ月半ほど前に母親・由美さんは腰椎を圧迫骨折して救急搬送されましたが、その時の病院の対応に納得がいかず、母親・由美さんを退院させました。一緒に外出もできるくらいに回復していた由美さんでしたが、今度は脳梗塞で同じ病院へ救急搬送されます。
その病院では由美さんの特殊な義歯をつけてもらえず、栄養は点滴のみでした。
小泉今日子さんの姉・浩子さんも、何度も「つけてあげてください」と言っても聞いてもらえず、2人で相談して母親・由美さんを退院させて実家で看病することにしましたが、その時の母親・由美さんは嚥下もできない状態だったのです。
「延命措置はしてほしくない」という母親・由美さんの意思を尊重し、点滴で栄養を補給しながら見守ることにした小泉今日子さんとと姉・浩子さん。
小泉今日子さんもその間は仕事を入れず、姉・浩子さんと交代で母親・由美さんに付き添って見守っていました。
2回目の退院をしてからの一ヶ月間は、毎日、叔母や姪っ子、その子供たちなどが入れ替わり立ち替わり実家に来てくれて、みんなで母親・由美さんに会いに来てくれました。
小泉今日子さん自身も、みんなへの感謝の気持ちが湧いてきたでしょう。
実家を片付けてみんなの居場所に、みんなの集まれる場所にしたい。ここで仕事をするのもいいかも。
など、想像は膨らむようです。
10代からアイドルとして活躍してきた小泉今日子さんの母親や家族関係、現在の想いなどを調べるうちにさらに小泉今日子さんが好きになりました。
これからも応援していきたいと思います!
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